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​タカガキメグミとは?

​アポイントを取りすぎて気づいたら家族の時間を犠牲にし、「誰の言うことが正しいの?」と正解を求めてました…
​そこから信頼できる方との「対話」を通してやりたいことに気づけた"ママさん整備士"

    ​ママさん整備士

    3か月であなたの「軸」を明確にし、
    ​"自分らしく"前に進むための基盤を築きます。
    対話(オンラインセッション)、名刺やzoom背景等の視覚的サポート、AIによる文章周りの整備
    ​を主な内容としております。​

    ※AIはあくまでビジネスの補助的ツールとして使用しており、
    利用や選択等の最終的な判断は個人もしくは専門家の方にお願いするようにお伝えしております。

    ※「ママさん整備士」はあくまで活動の肩書であり、診断や治療といった医療行為ではありません。また、何か機械を整備する行為でもありません。対話を通じて心のサポートを行います。

    ​コミュニティ整備士

    ​あなたのビジョンを"場"としてカタチにするために3か月かけて"理想が現実に向かう設計図"の作成をサポートいたします。
    JINEN公認のメソッドを活かし、JINEN本社から許可を得て連携しながら個人事業主の皆様に特化して提供いたします。


     

    ​タカガキメグミの歴史

    幼少期:長女としての責任と模索

    1990年6月19日、富山県で4人兄弟の長女として誕生しました。次々と弟や妹ができたことで、幼い頃から「長女だからしっかりしなさい」「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」という言葉をかけられ、強い責任感を背負う日々。いつしか、この重圧から逃れるために、何かあると他人のせいにしてしまう、「他責」の人生を選択していました。この頃の私は、自分の感情や願望を抑え込み、他人の期待に応えようと必死だったのだと思います。

     

    小学生:不器用な反抗と孤独

    小学5年生の頃、私は大きな転機を迎えました。それまでの1クラス40人ほどの学校から、なんと1学年6人しかいない学校への転校です。新しい環境は、それまでの私の常識とはかけ離れた暗黙のルールに満ちており、なかなか受け入れることができませんでした。周りの大人に相談しても理解されず、解決策が見つからない。そんな状況の中で、「私の話なんて誰も聞いてくれない…」と心を閉ざし、悲劇のヒロインを演じることで、自分の不器用な反抗心を示していたように思います。この時期の孤独は、私の心の奥深くに大きな影を落としました。

     

    中学生:音楽がくれた居場所と葛藤

    音楽が大好きだった私は、中学校で吹奏楽部に入部し、6年間フルートに打ち込みました。音楽に没頭する時間は、私にとって唯一の心の拠り所であり、救いでした。しかし、相変わらず人との距離感が分からず、どこか周りに溶け込めない自分に葛藤する日々。「こうあるべきだ」という理想と、現実の自分のギャップに苦しみながら、何とかやり過ごした6年間でもありました。この頃の経験が、後の人間関係における私の基盤となったのかもしれません。

     

    高校生:漠然とした未来への一歩

    高校3年、漠然とした将来への不安を抱え、進路がなかなか決められない日々。そんな時、たまたま職員室で目にした自動車整備士の専門学校のパンフレット。実は車には全く興味がありませんでした。しかし、「整備」という言葉の響きに、何かを直して、誰かの役に立つという可能性を感じ、直感的に惹かれました。この言葉が、私の「運命の進路」を拓くきっかけとなった。

     

    専門学校:人生を変える出会いと挑戦

    直感に導かれて進んだ専門学校。そこで私を待っていたのは、整備士という奥深い世界と、人生のパートナーとなる現在の夫との出会いでした。同じ目標を持つ主人と共に切磋琢磨し、互いに支え合いながら、私は念願の整備士の資格を手にすることができました。この2年間は、技術だけでなく、人としても大きく成長できた、まさに「運命的な出会い」に満ちた時間でした。

     

    自動車整備士:女性が切り拓く道「HIROBEE」

    卒業後、新卒で日産系列のディーラーへ。その後、ホンダ系列のディーラーへと転職し、現場での経験を積みました。第一子出産・育児を機に、地元で10年ほど車屋さんとして現場経験を積む中で、「もっとお客様に寄り添いたい」「女性ならではの視点で車の悩みを解決したい」という想いが募り、第二子出産・育児をきっかけに自宅の駐車場で洗車屋さんを開業しました。

    屋号は「HIROBEE(ヒロビー)」

    • 「HIRO」は「拡」を意味し、人から人へ輪を広げていきたい。

    • 「BEE」は「美」で、車を美しく、そしてお客様にも喜んでほしい、輝いてほしい。

    • さらに「BEE」には「働き者」という意味も込められています。

    誰も使っていない言葉に、私の想いを込めました。

    女性整備士はまだ珍しい存在です。しかしその珍しさから、お客様はもちろん、様々な外注先さんからも「安心して任せられる」「女性にしか話せない悩みを聞いてくれる」といったお声をいただくようになり、個別にご連絡をいただく機会も増えました。これも、私がお客様一人ひとりに真摯に向き合い、信頼を築いてきた証だと感じています。

     

    出産&子育て:ママとしての葛藤、そして新たな強みへ

    第一子の育児中は、慣れない生活と重圧から、過呼吸で救急車に運ばれるほど追い詰められた時期もありました。「私なんて誰の役にも立たない…」と、自責の念に駆られることも。これは「長女あるある」と言われるのかもしれません。ですが、この困難な経験を通じて、完璧を目指すのではなく、周囲に頼ること、そして自分自身を大切にすることの重要性を学びました。子育て中のママとしての経験は、お客様の日常に寄り添う整備士としての視点にも繋がっています。時間の制約がある中でも、効率的にお客様のニーズに応える工夫を凝らすことで、より柔軟な対応ができるようになりました。今では、仕事も子育ても、私にとってかけがえのない大切な一部です。これらの経験が、女性整備士として、そして一人の人間として、私の強みになっています。
     

    洗車屋さん:新たな挑戦と模索

    出産と子育てを経て、何とか体調を立て直し、洗車屋さん「HIROBEE」を個人事業主として開業しました。しかし、開業後は異業種交流会(BOI)に所属したり、在り方を学ぶコースを受けたりと、様々な挑戦をするも、なかなか思うようにいかず、屋号に込めた「美しく輝く」という想いと現実のギャップに苦しむ日々が続きました。

     

    「人脈お化け」:未知なる挑戦と戸惑い

    そんな模索の日々の中、洗車屋さんのお客様からいただいたある言葉がきっかけで、私は「コンサルタント業」という全く未知の世界へ足を踏み入れることになりました。たくさんの方々とアポイントを取り、積極的に行動した結果、周囲からは「人脈お化け」と呼ばれるまでになりました。しかし、残念ながら具体的な実績にはなかなか結びつかず、この挑戦は私にとって大きな戸惑いと迷いを生むことになります。

     

    迷走からの気づき:本当の強みとは

    「人脈お化け」としての活動を通じて、たくさんの方とお話しする中で、私は大きな迷走に入りました。「誰の言うことが正しいのか?」「誰の情報を信じたらいいのか?」と、情報過多の中でどんどん混乱していったのです。そして、一番言われてショックだった質問は「人脈お化けと呼ばれるほど人脈を増やして、結局何がしたいの?」でした。この言葉は、私にとって大きな衝撃であると同時に、自分自身の本当の強みや、本当にやりたいことは何なのかを深く見つめ直すきっかけとなりました。

     

    ママさん整備士:経験から見つけた天職

    そんな迷走中、私をサポートしてくれたのは、各分野で実績のある方々ばかりの「神脈」でした。彼らとの対話を通して、私はある大切なことに気づかされました。それは、私の最大の武器が「何気なく引き出し、必要な方を驚きと感動で繋げられること」だということ。これこそが、「ママさん整備士」として、人々の心と未来を整備する私の天職だと確信しました。

     

    コミュニティ整備士:さらに広がる可能性

    そして現在、私はJINENスクールを卒業し、JINENメソッドを活用した「理想が現実に向かう設計図」の作成サポートができるようになりました。これは、JINEN本社の許可を得て提供できるサービスです。私はこれからも、「心の整備士」「コミュニティ整備士」として、人々の「心」と「人生」の修理・点検・調整を通して、誰もが自分らしく輝ける社会を創っていくことを目指しています。あなたの心が疲れた時、立ち止まってしまった時、私が全力でサポートします。


    長いストーリーを見てくださってありがとうございました。

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